小説『雨は降らない』一話

 

 

 彼は黒い髪に、猫と同じぐらいの鞄を背負っている人間だ。歩くたびに鞄の中からがさがさとした音が聞こえる。きっと、あの中にはおいしいご飯だって入っているのだろう。じゅるりと、必然的に子供の口元からよだれが垂れる。
 やる事といえば、後は一つだろう。
「知らない人間だが、俺が餓死するよりはマシだろう。ウン」
 独り言の多い子供は自らの手に生えた鋭い爪を見た。鋭利そうで長い己の爪。目前の男は見るからに手ぶらそうだ。獲物を狩る時のように、猫は一度二度その場で足を地面に押し付ける仕草をし、キッと目を細めた。
 失敗してはならない。あの小さくてすばしっこいねずみとは違うのだから。
 鞄を切り裂いて、ご飯を頂戴するのだ。相手との距離を測り、ぐぐっと姿勢を下げて息を潜め、そして――猫は駆け出した。
 一歩二歩。駆ける足は軽い。そして、目標手前一寸。手が、爪が伸びた。
「いただきまあす!」
 鞄を背負っていた男は驚いたように振り返った。そんな事関係ないと、猫の爪は彼の鞄を切り裂く。
 やりいっと手にガッツポーズを作った猫は、鞄から飛び出してきたモノで、頭が真っ白になった。